全日本トラック協会は6月26日、都内で「第102回通常総会」を開催し、新会長に寺岡洋一愛知県トラック協会会長(由良陸運会長)を選出した。総会では、定款の変更を行い、新たな役職として最高顧問を新設。坂本会長は最高顧問に就任した。
<坂本会長>

坂本克己会長は、「総会には、北海道から沖縄まで、ご来場いただきました。いろいろとご理解・ご協力をいただきありがとうございます。本当に頼りない私をお支えいただきまして、最初に熱く心から御礼を申し上げます。今度、愛ト協の寺岡会長に、全ト協の会長をお願いします」と挨拶。
「この方の最大の特長は、一旦この人と付き合ったら離れられない男。男が男に惚れるというやつ。指導力、束ねる力がある。業界は絶対にバラバラになってはいけない。これからはなおさら、業界、全日本トラック協会は、鉄の団結をやっていかなければならない。その時の大将、ボスとして、その人柄、手腕が優れている」と新会長を紹介した。
その上で、「相撲に例えると、トラック協会はギリギリのところまできた。もう何センチ後ろにいったら大変な状況だった。日本にはいくつも産業があるが、トラックは、人間でいう血液だ。ここで、改めて、社会の皆様にある意味でご理解をいただけるようになった。全国のみなさまのお力で、土俵の真ん中まで戻すことができた。新会長は、業界をまとめる名人、達人だ。新会長の元で本当に自信と誇りを持っていただきたい。この業界は、いざとなったら一枚岩になることができる。これは、みなさまのエネルギーでありパワーだ。本当にみなさま、ありがとうございました」と語った。
<寺岡新会長>

寺岡洋一新会長は、「昨年、別件で会長に呼び出されたが、別件の話は一切なく、会長がまずご自身の体調の不良をとうとうと語られて、ついては来年の任期までは頑張るが、来年の6月以降、会長を変われと言われた。最初は何言ってるかさっぱりわからなかったが、即座に、『嫌です私じゃありません』と言ってお断りを申し上げました。しかし、坂本さんは『私は一回口にしたら絶対後に引かんからな』と言われて、18日が正副会長会議1週間後の会議で、そこで次の会長を決めるとおっしゃいました。それから何度か数日間、押し問答があったんですけども力の差は歴然としておりまして、あっという間に外堀を埋められまして、18日には私欠席だったんですけども、満場一致で私が会長に内定しました。内定の2週間後の全国大会が熊本に10月3日にあり、記者の方々を含めて、挨拶しました。私の生涯の人生計画がわずか3週間で大幅に狂わされました」と会長交代のエピソードを披露した。
続けて「その時の熊本の挨拶、今でもはっきり覚えています。3つのことを申し上げました。最初に言ったのは、究極のボランティアにチャレンジする覚悟をしたと申し上げたんですけども、あの時言ったボランティアという言葉、撤回させてください。坂本さんのそばでその言動を見てて、こんな人が本当に身を削って業界のために必死に頑張っている姿を見て、これはボランティアなんかじゃない。私のような人間がやるには、もう全身全霊で思い切り正面からぶつかっていかなきゃなし得ない職責だなと、そんなことを感じました。そして二つ目は、『とはいっても坂本さんは、元気なうちは政治のことはやってやる』ということを言っていただいて、これからも政治のことは全面的に坂本最高顧問と麻生会長にお任せできるということで助かるわけであります。そして、もう一つ申し上げたのは、私は当時全く勉強不足で、一つ一つ勉強をさせていただいて、総会議長になった時には、記者の皆さんの前で新会長としての抱負を述べられるように頑張ります、と約束しました」と会長内定時の挨拶を振り返った。
その上で、「今日の私の抱負ですけど二つあります。一つはあまりにも月並みなんですけどもやっぱり会員ファースト業界ファースト。これはもうぶれずに、ど真ん中において常に忘れずにいろんなことに向き合っていきたいというふうに考えています。そして2つ目は、6月4日に国土交通省の皆様のご尽力、また先生方の協力もあり、歴史的奇跡的なスピードで、議員立法を成立させていただきました。いわゆる坂本新法であります。その中身を読んで感激をいたしました。素晴らしいです。これは、今まで我々業界が本当に長年にわたって切望してきたことが網羅されている。本当にこれを一日も早く実現していくことが、我々業界にとっても大きな転機になり得る。もちろんいい意味で転機になり得るというふうに理解をしております。我々全日本トラック協会としては、新しく本件に特化した委員会を立ち上げて、もう国交省の皆さんが面倒がるぐらいに、しょっちゅうコンセンサスを取らせていただいて、一日も早く、新法を実行段階に移していきたい」と抱負を述べた。
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